ただいま日曜20時のNHK大河ドラマ『西郷どん』に夢中です。
学生時代に司馬遼太郎の本を貪り読み、『竜馬がゆく』の坂本龍馬や『燃えよ剣』の土方歳三に憧れたものでしたが、私の中での幕末~維新の英雄はやはり西郷隆盛。
1987年の日本テレビ年末時代劇スペシャル「田原坂」(里見浩太朗主演、5時間半の超大作)のDVDは宝物。いまだに観るたびに感動し涙してます。
2003年の映画『ラスト・サムライ』(トム・クルーズ主演)で渡辺謙が熱演(第76回アカデミー賞助演男優賞ノミネート)した勝元盛次も西郷隆盛がモデル。滅びの美学を貫き格好良過ぎでした。
「敬天愛人」「児孫にために美田を買わず」など数々の名言を残している西郷隆盛。
「天を相手にせよ。人を相手にするな。全てを天のためになせ。人をとがめず、ただ自分の誠の不足をかえりみよ。」の言葉は「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」と説いた吉田松陰の心と相通ずるものを感じます。
〈物事が上手く運ばない時には、その原因を外に求めることなく自分の誠が足りないことを自省すべきである〉と二人の英傑が自分自身へ課した厳しさは、現代でも学ぶ点が多い、深~い言葉です。
6月放送回の『西郷どん』で西郷隆盛が薩摩藩主島津久光の逆鱗に触れ2度目の島流しに遭ったのは沖永良部島でした。
数年前に先輩のご親族の葬儀のため一度だけ訪れたことがあります。鹿児島空港から飛び立ったプロペラ機が沖永良部島への着陸態勢に入った時に見えた、キラキラと宝石のように輝く碧い海は今でも瞼に焼き付いています。
戦時中は沖縄に向かう戦闘機がこの周辺で随分撃墜されたとのことで、先輩が子供の頃は島内あちこちに散乱する空の薬きょうを拾って遊んでたそうです。
流刑時は吹きっ晒しの牢屋に1年7ヶ月も閉じ込められた西郷ですが、彼が島民に与えた影響は計り知れず、南洲橋、南洲神社(南洲は西郷さんの別名)などの施設が今でも大切に護られ、死してなお大きな影響を与え続けていることに大きな感動を覚えました。
さて、美談に包まれた私達の明治維新ですが、最近では新しい解釈の本が続々と出版され、過去の常識が覆されつつあります。
幕末は薩長にはイギリス軍が、幕府側にはフランス軍がついたのは有名な話。
しかしながら、世界史の視点で見ると、クリミア戦争(1853〜)でロシア相手に、アヘン戦争(第一次1840〜、第二次1856〜)でも清国を相手に共闘した盟友である英仏2国が、その直後の日本では掌を返したように急に敵味方に分かれて戦うなんて、理にかなわないですよね。
世界中に植民地を作りアジアにも侵略の手を伸ばしていた英仏両国が内戦を演出し、実は裏で2国が糸を引いていたというのが真実のようです。
昔観光で行った長崎のグラバー邸の主トーマス・グラバーは実は武器商人であり、アヘン売買で暗躍したジャーディン・マセソン商会の出先機関であったこと、脱藩者で浪人である坂本龍馬が大量の武器調達を出来た背景にはグラバーの深い関与があったこと。
イギリスに密航し留学した「長州ファイブ(別名マセソンボーイズ)も然り。
目から鱗の話が山ほどあります。
でも、なんで学校ではこんなに重要なことを教えないんでしょう?
「維新は日本人が自分たちで成し遂げたものであってほしい」という切なる願いが真実から目を遠ざけてしまっているのかもしれません。
歴史は常に勝者の視点で(勝者側に都合よく)描かれるといわれます。物事をひとつの物語からのみではなく、多角的な視点から俯瞰して見る目を養うことが、正しい判断をするためには大切だとしみじみ感じます。
(柳浦)